前回の記事でたまたまスタジオジブリのことを話題にしたので、今回は私が20年近く前から思っていたスタジオジブリに関することを書いていきたいと思います。
それは鈴木敏夫プロデューサーについての話です。
実はこの鈴木プロデューサー、古いスタジオジブリファンから『ジブリをつまらなくした男』と揶揄されているのです。
鈴木敏夫さんが商業的な意味でのプロデューサーとして優秀だったことは間違いありません。
そもそも映画プロデューサーとは、商業主義的に物事を考える立場の人でもあります。
しかし鈴木プロデューサーは商業主義に走りすぎ、そのことが作品の中身にまで影響しているのです。
スタジオジブリが注目された当初、多くの日本人はスタジオジブリは作品の中身で純粋に勝負する存在で、商業主義的なことをしないみたいな幻想を抱いている節がありました。
そういった幻想が『もののけ姫』以降に崩れていき、その原因が鈴木プロデューサーにあると考えるジブリファンも多くいるわけです。
鈴木プロデューサーはスタジオジブリの立ち上げ当初からプロデューサー業として関わっていますが(元はアニメ雑誌の編集長で、その前はゴシップ系週刊誌の編集者)、当初のプロデューサー(最上位のプロデューサー)はスタジオジブリを経営面で支えていた原徹さんが務めていました。
この原さんは商業主義的なことが嫌いな人物として有名で、宮崎駿監督や鈴木プロデューサーと作品の制作手法で対立し『おもひでぽろぽろ』を境にスタジオジブリを去ってしまいます。
以降、スタジオジブリの作品は徐々に商業主義へと移行し、鈴木敏夫さんがプロデューサー業を完全に掌握して以降はその傾向はより強くなっていくのです。
ここで、説明を分かりやすくするためにジブリ作品の年表を示します。
| 公開年 | 作品名 | 監督 | 最上位のプロデューサー |
|---|---|---|---|
| 1984年 | 風の谷のナウシカ ※ | 宮崎駿 | 東海林隆 |
| 1986年 | 天空の城ラピュタ | 宮崎駿 | 原徹他1人 |
| 1988年 | 火垂るの墓 | 高畑勲 | 原徹他1人 |
| 1988年 | となりのトトロ | 宮崎駿 | 原徹他1人 |
| 1989年 | 魔女の宅急便 | 宮崎駿 | 原徹他4人 |
| 1991年 | おもひでぽろぽろ | 高畑勲 | 原徹他4人 |
| 1992年 | 紅の豚 | 宮崎駿 | 鈴木敏夫他4人 |
| 1994年 | 平成狸合戦ぽんぽこ | 高畑勲 | 鈴木敏夫他3人 |
| 1995年 | 耳をすませば | 近藤喜文 | 鈴木敏夫他3人 |
| 1997年 | もののけ姫 | 宮崎駿 | 鈴木敏夫 |
| 1999年 | ホーホケキョ となりの山田くん | 高畑勲 | 鈴木敏夫 |
| 2001年 | 千と千尋の神隠し | 宮崎駿 | 鈴木敏夫 |
| 2002年 | 猫の恩返し | 森田宏幸 | 鈴木敏夫 |
| 2004年 | ハウルの動く城 | 宮崎駿 | 鈴木敏夫 |
| 2006年 | ゲド戦記 | 宮崎吾朗 | 鈴木敏夫 |
| 2008年 | 崖の上のポニョ | 宮崎駿 | 鈴木敏夫 |
| 2010年 | 借りぐらしのアリエッティ | 米林宏昌 | 鈴木敏夫 |
| 2011年 | コクリコ坂から | 宮崎吾朗 | 鈴木敏夫 |
| 2013年 | 風立ちぬ | 宮崎駿 | 鈴木敏夫 |
| 2013年 | かぐや姫の物語 | 高畑勲 | 西村義明 |
| 2014年 | 思い出のマーニー | 米林宏昌 | 西村義明 |
※『風の谷のナウシカ』はスタジオジブリの前身であるトップクラフトの作品だがジブリ作品として扱うことが定番となっている
この表からは、スタジオジブリのプロデューサー業が原さんから徐々に鈴木プロデューサーへと移行していることがわかると思います。
では、鈴木プロデューサーによるスタジオジブリ商業主義化の具体例をみていきましょう。
スタジオジブリが商業主義化したもっともわかりやすい例は、声優のキャストに専業声優ではなく俳優を使うようになったことです。
『魔女の宅急便』まで、ほとんど専業声優を使っていたスタジオジブリですが、『おもひでぽろぽろ』(宮崎監督で言えば『紅の豚』)以降、俳優の起用が増えていきます。
中に話題先行としか思えないような起用例もあり(『ゲド戦記』の岡田准一さんや『コクリコ坂から』の長澤まさみさんなど)、明らかに声のあて方が下手な俳優もいました。
特に『ハウルの動く城』で主役の抜擢された木村拓哉さんは、さすがに集客効果を狙い過ぎではないかと多くの人が感じたと思います。
『風立ちぬ』でアニメ映画監督の庵野秀明さんが主演を任されたことに至っては、呆れてものも言えませんでした。
基本的に声優の起用は作品の監督が主体となって決めるもので、スタジオジブリにおいて声優キャストの俳優起用が多くなったのは、宮崎監督が専業声優は声をあてることが上手すぎて却って不自然であるとの考えが影響されています。
しかし鈴木プロデューサーの意向が大きく反映されていることも事実で、『風立ちぬ』の主役声優を決めあぐねてる際に庵野秀明さんの名前を最初に出したのも鈴木プロデューサーでした。
また、鈴木プロデューサーはスタジオジブリ以外のプロデュース作品で、続編にも関わらず声優を人気女優に変えようとし監督やスタッフから大反対された経緯もあり、とにかく有名な俳優を使おうとする傾向が強い人として知られています。
映画の主題歌で言えば、『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』が一般的なアニメソングだったのに対し、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』では話題になりやすいような特徴的な音楽を採用し、話題先行で主題歌を決めるように変化していったことが窺い知れます。
鈴木プロデューサーの商業主義に関する話はこれだけでは収まりません。
『もののけ姫』では、宮崎監督の考えすら無視するようなプロデュースも行っています。
宮崎監督は、『もののけ姫』について『アシタカせっ記』(『せっ』は宮崎監督が考えたオリジナルの漢字が当てられる)というタイトルを考えていたのですが、『もののけ姫』のほうがインパクトがあり客が食いつくと思った鈴木プロデューサーは、監督の意向を無視して『もののけ姫』というタイトルをマスコミに発表し、『アシタカせっ記』というタイトルを闇に葬ります。
更に『ハウルの動く城』も宮崎監督は『ハウルの蠢く城』にしたかったらしいのですが、『もののけ姫』と同様に鈴木プロデューサーに却下されてしまいました。
このように、鈴木プロデューサーは売れるため(自分が売れると思ったことを実行するため)なら監督の意向すらも無視するという徹底した商業主義を貫いているのです。
そして鈴木プロデューサーの悪行としてもっともファンから顰蹙を買った出来事が、宮崎監督の息子である宮崎吾朗さんを『ゲド戦記』の監督に採用したことです。
アニメ監督の実力が遺伝しないことなどはバカでもわかる話ですが、鈴木プロデューサーはそんな常識を無視してアニメ制作の経験が一切ない宮崎吾朗さんを『宮崎駿の息子』という理由だけで監督に採用しました。
結果『ゲド戦記』はひどい出来で、ファンの間ではトラウマになるレベルの作品と言われています。
ただ、当然この監督起用にマスコミは食いつき、メディアで大きく扱わえたこともあって商業的にはある程度の成功を収めました。
この出来事は、話題になること(作品のヒットに繋がること)なら何でもするという鈴木プロデューサーの姿勢が如実に現れたものと言えるでしょう。
こういった過剰とも言える鈴木プロデューサーの商業主義は、多くの日本人がスタジオジブリに描いていた『作品の中身を最大限まで重視するアニメスタジオ』という幻想を完全に崩壊させるものだったのです。
そもそもの問題として、スタジオジブリの商業的な成功が鈴木プロデューサーの力によるものなのかということにも疑問があります。
確かに、原さんがプロデューサーを務めていた当時のスタジオジブリ作品はあまりヒットしておらず、鈴木プロデューサーに変わって以降はどんどんヒットを重ねています。
ただ、スタジオジブリの作品が人気を得たきっかけは間違いなくテレビ放送による影響です。
アニメは子供のもので大人がちゃんと観るという文化そのものがなかった時代に、スタジオジブリの作品がテレビで放送された際、明らかに今までのアニメとは違うものを多くの日本人が感じとったたはずです。
そんなジブリ作品を繰り返しテレビ放送していくことで、スタジオジブリおよび宮崎駿の名前は徐々に話題となっていきました。
ここで、1980年代から1990年までにかけてテレビ放送されたジブリ作品と視聴率を御覧ください。
| 放送日 | 作品名 | 視聴率 |
|---|---|---|
| 1985年4月6日 | 風の谷のナウシカ | 16.5% |
| 1986年7月25日 | 風の谷のナウシカ | 16.4% |
| 1988年4月2日 | 天空の城ラピュタ | 12.2% |
| 1988年7月22日 | 風の谷のナウシカ | 17.5% |
| 1989年4月28日 | となりのトトロ | 21.4% |
| 1989年7月21日 | 天空の城ラピュタ | 22.6% |
| 1990年3月30日 | となりのトトロ | 23.2% |
| 1990年9月28日 | 風の谷のナウシカ | 18.2% |
| 1990年10月5日 | 魔女の宅急便 | 24.4% |
以上のように、ジブリ作品への注目が徐々に高まっている状況が視聴率からも窺い知ることができます。
こういった状況を踏まえると、『魔女の宅急便』以降のジブリ映画は誰がプロデューサーをしても右肩上がりにヒットしていったと思われます。
それぐらい当時のスタジオジブリ及び宮崎監督は注目を集めており、神格化されていると言っても過言ではないほど人気が高まっていました。
そもそも宮崎監督が登場するまでは、日本人はアニメオタクを除き誰もアニメ監督の名前を知らなかったと思います。
アニメ映画において誰が監督をしているかなんて興味もないし、アニメの制作スタッフの中に監督という役職が存在するのかすら知らなかった人が大半だったはずです。
それが1990年代以降からはアニメ監督も話題になることが多くなり、今ではアニメ監督の名前を複数人知っている人も普通で、宮崎監督については知らない人がいないレベルとなっています。
それほど宮崎監督の登場は凄まじく衝撃的なものだったのです。
このように1990年代以降にスタジオジブリの作品がヒットした理由は、それまでに得た宮崎監督の人気の影響が大きいものと思われます。
実際にスタジオジブリの人気作品に関するアンケートでは、鈴木敏夫さんがプロデューサーをする前の作品のほうが上位に入りやすい傾向が見て取れるのです。
今年行われた『「ジブリ映画」で何度も見た作品ランキング』というアンケートでは、
1位:となりのトトロ(785票)
2位:天空の城ラピュタ(713票)
3位:千と千尋の神隠し(375票)
4位:風の谷のナウシカ(282票)
5位:もののけ姫(228票)
という結果で、やはり古い作品のほうに人気が集中しています。

結局、鈴木敏夫さんがプロデュースするようになってからの作品は、ヒットはするが肝心の中身については疑問が残ると考えるジブリファンが多くいるわけです。
また、鈴木プロデューサーはスタジオジブリ以外のプロデュース作品で失敗している例も多く、宮崎駿やスタジオジブリという名がなければ実力を発揮できない傾向も見て取れます。
それはプロデューサー能力として疑問が残るということと同じ意味になります。
以上、スタジオジブリおよび鈴木敏夫プロデューサーに20年来感じていた想いを書かせて頂きました。


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